知ってるつもり・・・。
      フェルナンド・ソル

        クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
        しかし、それほど弾かれない・・・。
        重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
        それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
        ほんの少し調べてみました。


              


                =生涯概要(一)=
 
 ソルの生年月日には諸説あって、

過去の作業によって、

1778年から1784年に至るまで様々な日付が提供された。

しかし、正確な生年月日は、

1778年、2月13日と決定していいだろう。

その証拠となるのが、

バルセロナの「サンタ・マリア・デル・マル大聖堂」に残る、

洗礼記載簿に1778年 2月14日に洗礼を受けたとある。

この当時生まれた次の日に洗礼を受けるのが一般的だった。

もう一つ混乱のもととなったのが、この作曲家の名前のつづりだった。

上記の洗礼証明書にはカタロニア風の彼の名前、

Sorsが記入されている。

しかし、彼は後年古いつづりをやめて、

カスティール風(スペインの標準語)Sorを用いた。

このつづりは普遍的ではないが、

今日一般的に用いられている。

 ソルの少年時代はバルセロナとその近郊で過ごされた。

彼の父、ファン・ソルがバルセロナの商人であったことは明らかであるが、

彼に関しては、彼が優れたアマチュアギタリストであったこと以外には、

あまり知られていない。

ソルの父親は彼を軍人か役人にするつもりだった。

知り合いの勧めで彼は息子にヴァイオリンを習わせた。

幼いソルがオペラに連れていかれたという事実も、

ソル一家の音楽に対する関心の深さを立証するものである。

ファン・ソルは、1790年、

彼の妻と息子にほとんど何も財産も残さず死んでしまった。

ところがこのころまでにソル少年の早熟な音楽的才能は、

町中に知れ渡っていた。

そこで、モンセラのベネディクト会修道院の新任の院長である、

パドゥレ・ドン・ホセ・アレドンドは、この少年を、

彼が母親を養える年齢に達するまで、

生徒として修道院に置くことを提案した。

この申し出は受け入れられて、

12歳のソルは、母親に連れられてモンセラに赴いた。

モンセラの修道院は13世紀から続いている、

「エスコラニーア」という宗教音楽学校で長い間有名なところである。

ここでソルは、おそらく当時のヨーロパのどこにも劣らない、

音楽の訓練を受けたと思われる。

彼の最初の指導教師は、パドゥレ・アンセルモ・ヴィオラで、

彼はソルに和声法、対位法、および作曲法の基礎を教えた。

 後年(正確な日付は不明)ソルはこの学校生活に関する回想録を書いた。

これは18世紀後半のモンセラにおける音楽活動を解明するのに、

非常に良い手がかりとなっている。

回想録によればモンセラにおける音楽教育は包括的であると同時に、

集中的なものだったことがわかる。

ソルがここで作曲した作品に対する文献上の参照は多いが、

そのうちで決定的な価値を持つ作品はほとんど実際には知られていない。

これらの参照が単なる言い伝えであろうと事実であろうと、

このことによってソルは、

かなり若い時から作曲の才能を持っていたことがわかる。

この事実は数年後バルセロナで若干19歳にして、

彼の最初のオペラが上演された時、

端的に示されたのであった。=つづく=


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