映画鑑賞記
「利休にたづねよ」鑑賞記
暮れも押し迫った12月28日に、
南町田グランベリーモールシネマズ109で映画「利休にたずねよ」を鑑賞した。
封切りが12月8日だったので観客は少なかったが(12人程度)。
原作は山本兼一の歴史小説「利休にたずねよ」。
従来の利休像にとらわれず大胆な仮説によって新しい利休を描いた作品だそうだ。
山本氏は本作で直木賞を受賞している。
利休役は市川海老蔵。
海老蔵主演の映画を鑑賞するのは、「一命」に続き2作目だ。
小説自体がユニークな内容なのだが、海老蔵が演じるとさらに深みがある。
香川照之にせよ、海老蔵にせよ、歌舞伎役者の演技は他の俳優とは一味違う(感じがする)。
本作は豊臣秀吉から切腹を命じられ、
その執行の日を起点にして、
時をさかのぼるという設定になっている。
そこには、利休が究極の美を追求する根源的な理由が描かれているのだ。
利休は始め、信長の茶頭として召し抱えられた。
金にものを言わせ、国内外の超高級な調度品を集めまくっていた信長(伊勢谷友介)に対し、
利休は、金額の多寡ではなく、美の究極を見せることによって信長の心を射止めてしまうのだ。
その後、利休は、信長に代わって天下を治めた豊臣秀吉(大森南朋)に寵愛されることになる。
信長の家来だった頃は、利休に命を助けてもらったこともある秀吉だったが、
天下を取ってからは、暴君ともいうべき振る舞いで、
秀吉の命令に従わず、孤高を貫く利休が疎ましくなり、
最後は切腹を命じてしまう。
利休が、百姓の出の自分を見下しているようで我慢ができなかったのだ。
利休は秀吉の、「一言謝れば許してやる」という言葉に従わず、
切腹を受け入れる。
彼の美の追求は死をも超越していたのだ。
なぜそこまでの境地に至ったのか。
それは、茶を学ぶため千家に来ていた19歳の時に、
上顧客から仕入を頼まれ千家に囚えられていた、
高麗の娘(クララ)に出会ったことから始まる。
放蕩で女の尻を追い回すことしか考えていなかった利休が、
その娘に出会ってから、美というものに目覚めて行く。
茶の師匠・竹野紹鷗(市川團十郎)に、娘の世話役を頼まれた利休は、
千家の使用人で高麗出身の料理人から教えてもらった料理をふるまい、
娘の気を引こうとする。
そしてある時、娘を高麗に逃がしてやろうと夜中に外に連れ出すが、
結局は見つかり、万策尽きた二人は心中をはかろうとする。
いざという時のために携えていたネズミの駆除薬を飲んで死のうとするのだ。
二人は、利休が持っていた和紙に漢詩を書き、愛する気持ちを伝える。
笑顔で見つめあう二人。
しかしその時、利休は娘の書いた漢詩の意味が十分飲みこめていなかった。
覚悟を決めた娘は薬を飲み死ぬ。
その後、自分も飲もうとするのだが、結局死ぬことは出来なかった。
雨の中、ずぶぬれで、抜け殻のようになって帰ってきた利休。
高麗出身の料理人が、利休が持っていた漢詩を見つけ、
「あなたは生きて」と書いていることを利休に伝える。
そのことを知った利休は地面にひれ伏して大泣きする。
そして子袋から娘の形見である緑釉の香合を取り出して、
大声で泣き叫ぶのだ。
香合の中には、利休が切り取った娘の小指の先が入っていた・・・。
クララちゃん、韓国の広告モデルということだが、確かに可愛かった。