コーヒーを飲みながら
          
            
        

                     =コンサート随想=


 6月5日のコンサートが迫ってきましたね。

去年はコロナで中止になってしまったギター室内楽です。

なんだか一年間が空くとずいぶん遠くなった気もしないでもないですが、

会場がなかなか見つからなかったのが、

あっという間に見つかったのには驚きです。

こんなこともあるんだなとびっくり!!

お店関係もダメで八方塞がりでしたが、

まあ、足元にレンタルスペースはあったという感じでしょうか・・・。

見つけていただいた方に感謝です。

 ギター室内楽の目的というのはいろいろあるのですが、

出来ればギター以外の音楽にも目を向けてほしいと思うのと、

目の前で実際の楽器の音を感じてほしいというのがあります。

電気楽器全盛の昨今ではありますが、

やはり実際の楽器の音を五感で感じるというのは必要ですよね。

 ギターというのは音楽の一部であって、

森にたとえれば森の中の一本の木ですよね。

その一本の木の見え方が人によっていろいろということですかね。

しかし音楽という大きな森を眺めるということも実際は必要ですよね。

大きな森を眺めながらギターを弾くというのは大事なことだと思います。

ギターの持つ違う一面も見ることができるわけですよね。

当教室のコンサートは、本公演の前に時間を設けて、

生徒の方にも参加して演奏していただいております。

これはコンサートを開始した時からのことで、

第一回目から続いてます。

教室の発表会もありますが、

それとは別にもう一歩踏み込んだ空気感の中で、

弾いてみてほしいということです。

発表会などとは違った空気感を感じることができると思います。

なぜこういう空気感を感じることが必要なのか、

楽器を弾くということは自己表現の一つだと思うんですね。

人間というのは自分をどう表現するかというのを、

常に持って生きていると言えるんじゃないかと思います。

自己表現といっても多岐にわたることだと思いますが、

楽器を演奏するというのもその中の重要な一つだと思います。

このコンサートの中で演奏することは、

もう一歩進めていこうとすることでなんですね。

ここで問うのはプロのように弾けるかどうかなんてことではありません。

プロのように弾ける必要はないんです。

プロのように弾けるのであればなまた別の場でということになります。

プロのように弾ける人が全部であれば金氏を呼ぶ必要もないんですよね。

そんなのは100%以上無理でしょう。

そんな演奏を目指しているのではありません。

あくまでも自己表現の場であり練習していく上での刺激です。

人間というのは刺激によって自分の世界を広げていくというのがあります。

刺激がなければ自己の世界というのは広がることはありません。

最初はほんとの少しの刺激から始まって、

少しづつ自己表現の世界を広げていくわけです。

自己表現の世界をより広げていくというのは挑戦でもあるんですね。

挑戦している姿を見ているというのは、

見ているほうにも刺激を与えてくれるんですよね。

双方向での刺激でより世界を広げていければなと思うわけです。

料金のことを言われることもありますが、

コンサートというのはお金がかかるので、

無料でというわけにはいかないですし、

無料の場ということであれば発表会以上のことはないんですね。

有料であれば弾く方の気持ちも違いますが、

聴く方の気持ちも違うんですよね。

この違いというのは非常に重要で、

発表会とは全く違う刺激があると思います。

 教室の門をたたくというのは、

そこで大きな刺激を得ていくと思います。

しかし、人間というのは立ち止まってそのままというのはなしですからね、

常に刺激を与えていかないと世界は広がらないんですね。

まったく刺激のない世界で生活すると人間はどうなりますかね。

それもないということではありませんが、

自分の世界観を広げることはできないし、

自己表現の世界とも無縁になりますよね。

少なくとも今ギターを弾いているといいことは、

自分の世界、自己表現の世界、

この二つの世界を横の時間軸の中で実行しているってことですよね。

 ぜひギターとは違う楽器の音から、

また仲間の演奏から刺激を受けて、

有益な脳内ホルモンを、しっかりと引き出してほしいと思います。


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