知ってるつもり・・・。
      フェルナンド・ソル

        クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
        しかし、それほど弾かれない・・・。
        重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
        それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
        ほんの少し調べてみました。


              
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               =生涯概要(九)=

 パリでしっかりした地位に就くことができなかったソルは、

どこかほかの土地で自分の運命を試さないではいられなかった。

そこで彼は間もなくロンドンに移った。

ロンドンで彼はパリにおける余もずっと熱狂的に歓迎された。

ソルはサセックス公の世話になり終いには彼のパトロンになった。

 当時のロンドンの新聞記事によれば、

ソルのギタリストの才能だけでなく、

歌手としての才能も非常な賞賛を受けている。

(ブリティッシュミュージアム)大英博物館には、

当時公刊された、たくさんの彼の声楽曲がある。

ソルの舞台芸術に対する興味が復活したのもまたこの時期であった。

彼はロンドンの舞台のために、

オペラやバレー曲を含む数多くの作品を発表した。

ロンドン、パリの両図書館には今もこれらの作品のうちのいくつかの原譜がある。

イギリスに六弦ギターを紹介したのもソルの功績である。

ソルの演奏会はイギリスの大衆から熱狂的に迎えられたが、

間もなく彼は再びそこを去らねばならなかった。

 1822年、12月のパリの新聞に、

彼が演奏会を開催した記事が載っていることから見て、

ソルは明らかにその年の後半にはパリに戻ってきていたらしい。

おそらく彼がパリに戻ってきた緊急の理由は、初演のためであった。

彼の舞台作品の一つの目前に迫ったこの町で、

これは1822年 3月3日、オペラ座図書館のカタログによれば、

この作品は大成功をおさめ、

1830年 11月24日までオペラ座のレパートリーの中にあり、

総計104回も上演されている。

したがってこの作品は一個の独立した作品としては、

ソルの全舞台作品中最も成功した例のように思われる。


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