知ってるつもり・・・。
フェルナンド・ソル
クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
しかし、それほど弾かれない・・・。
重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
ほんの少し調べてみました。
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=生涯概要(十)=
シンデレラの成功は彼がスペインを離れて以来求め続けた、
財政的安定を始めてソルに与えたらしい。
このお陰で彼は演奏旅行を続けることができ、
数か月後にはロシアに向けて出発することができたのであった。
この度はベルリンでの短い滞在によって中断され、
そこで彼は、一つは王立劇場のため、
もう一つはポツダムのサン・スシ・パイスのためと、
二つの舞台作品を作曲した。
彼は当時プロシヤ王の専属楽団指揮者をしていた、
ルイジ・スポンデニの世話になった。
ごく最近までソルの私生活に関してはほとんど何も知られていなかった。
ところがあるフランスの雑誌に最近掲載された記事によって、
以前には知りえなかった数多くの事実が明るみに出た。
その中で最も興味深い事実の一つは、
ソルが1823年パリ・オペラ座バレリーナのプリマバレリーナ、
ヴィルジニ・コラーンと結婚したことである。
19世紀初期のもっとも名高いバレリーナの一人であった彼女は、
結婚後、自分の芸名にソルの名前をかぶせたので、
ヒュリシテ・ヴィルジニ・コランとして知られるようになった。
彼女が夫に付き添ってロシアの旅に出たことは明らかである。
彼女は、ガリツィン皇太子と契約を結び、
モスコー・グランド・シアター(当時は、ピュートル大帝劇場として知られていた)
に、プリマ・バレリーナとして登場することになった。
彼女はモスクワ劇場のバレー編成家になり、
以後、踊り手としての役割に加えるに二十以上ものバレーを創作した。
ロシアの批評家たちは、彼女に前例にない歓迎ぶりを示し、
そのダンスを今まで見たうちで驚くほど、
最高に美しいダンスであると称賛した。
ソル夫人のヒュリシテ・ヴィルジニ・コラン
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