知ってるつもり・・・。
フェルナンド・ソル
クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
しかし、それほど弾かれない・・・。
重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
ほんの少し調べてみました。
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=生涯概要(十一)=
ソルが1826年パリに戻った時、
コラン・ソル夫人はモスクワにとどまったことから考えて、
明らかにこの結婚は長続きしなかったらしい。
彼女はソル死亡の前年の1838年まで、
引き続き当地でバレエ教師として活躍した。
彼女が1838年に再婚したことは、
おそらく彼女がソルからの離婚を承諾したことを示すものであろう
ソルにはフーリアという一人娘があったことが知られている。
(その死が彼自身の死に先立つこと一年)
しかし、彼女の母親が誰であるかは知られていない。
その娘がソルのコーラン嬢との結婚に先立つこと、
五年の1818年に生まれていることを考えて、
彼女の母親がヴィルジニ・コーランであるとは思われない。
ソルはロシアに到着するや直ちに演奏活動を開始した。
モスコーの聴衆は彼の妙技に驚嘆し、
彼のギタリストとしての歓迎ぶりは、
たちまちのうちにモスコーの劇場関係者の注目を集めることになった。
以前にロンドンで上演されたバレー「Alphonse et Leonere」が、
1824年、モスコーで以前の一幕ものから、
三幕ものに改訂増補された形で上演された。
パリ・オペラ座の図書館にある、
この楽譜の原稿にはモスコー公演に用いられた舞台設計や衣装の、
非常に興味深い12ページの挿絵がある。
シンデレラもまたモスコーで上演されパリにおけると同様の大成功を収めた。
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