知ってるつもり・・・。
      フェルナンド・ソル

        クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
        しかし、それほど弾かれない・・・。
        重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
        それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
        ほんの少し調べてみました。


              
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               =生涯概要(十二)=

 エリザベス皇太后のために演奏するよう要請されて、

ソルはセントペテルスブルグに赴いた。

皇后は彼のパトロンになることを申し出ていたのであるから、

ここに来て数年後皇后がお亡くなりになりさえしなければ、

ソルはずっとロシアにとどまっていたかもしれない。

 皇后の死後まもなく、

1825年12月1日に皇帝アレクサンドル一世も崩御された。

ソルは皇帝の葬儀のために葬送行進曲の作曲を依頼され、

それは葬儀の際、近衛軍楽隊によって演奏された。

その後まもなくソルは、

ニコラス一世の戴冠式に伴う祭典のため今一つの依頼を受けた。

その結果生まれたのが、ソルの最大傑作と称えられている、

バレー曲「Hercule et Omphale」である。

 これら数々の相当な成功の中にあって1826年ソルは、

妻をモスコーに残したままパリに戻る決心をした。

その後一年のうちにパリの観衆にとって、

二つ目のバレーがオペラ座で上演された。

この「恋人はシチリア生まれの絵かきさん」は、

シンデレラほど成功せず、

たった六回でレパートリーから降ろされてしまった。



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