知ってるつもり・・・。
      フェルナンド・ソル

        クラシックギターの世界では知名度抜群の作曲家。
        しかし、それほど弾かれない・・・。
        重要ではあるけれど最近は特に弾かれない。
        それとすでにあまりどういう人かも知られてないかも・・・。
        ほんの少し調べてみました。


              
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               =生涯概要(十四)=

 年若くしてコストは、事故で右手が使えなくなり、

演奏活動を諦めざるを得なくなった。

ソルの死後コストはパリの出版社から、

ソルの「ギター演奏法」改訂の依頼を受けた。

さらに彼は多くのソルの作品を編集、編曲をして公刊している。

 ソルが再びパリを離れたか否かということは、

今もってはっきりした回答が与えられていない問題である。

ソルがロンドンに戻り、

そこでマウロ・ジュリアーニとライバル関係を持った可能性はある。

この少々疑わしくはあるが、

有名で華やかなソルとジュリアーニとの、

「ライバル関係」について証言してる例も多い。

しかし、そのような出来事が実際に起こったか否かに関しては、

疑問の余地が多い。

例えば、ラファエル・ミジャナ音楽百科事典・公立音楽学校辞典の中の、

スペイン音楽に関する記事によると、

ソルは1828年、ロンドンからパリに「それを最後として」

帰ってきたと書かれている。

このことを実証する他の引例もいくつかある。

もしこれが真実であるとすると、

あの有名な、1832年のロンドンにおける芸術上の対立は、

明らかに起こりえなかったことになる。

いずれが真実にしろ、ソルとジュリーニのいずれもが、

この期間ヨーロッパ大陸を広く演奏旅行して歩いていたところから、

二人とも音楽の大家として、

それぞれ一家をなしていたことは確かである。

彼らは疑いなく、

当時の音楽界を支配していた二人の国際的は大家であったのである。


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